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60年代若者が熱中した「VAN」


日本初のブランドといわれる「VAN」の特集記事が繊研新聞に掲載されていた。
20代30代の人達には少しホコリっぽい記事かもしれないが「VAN」の誕生がなければいまのメンズ業界は何かが少し違っていたことは間違いない。 ※写真は78年当時青山3丁目交差点に建つ「VAN」本社ビル(旧ベルコモンズ前)

「繊研新聞」より

60年代初め、東京・銀座のみゆき通りに、マドラスチェックやストライプのボタンダウンシャツに三つボタン段がえりジャケットを着た若い男たちが登場する。アメリカントラッドに影響を受けたファッションで、白やベージュの綿パンツ、色鮮やかなキャンバス靴を合わせるのが定番。「VAN」の洗礼を受けた若者たちだった。その後、ヨーロピアンテイストの「JUN」とともに「みゆき族」と総称され、社会現象となったスタイルだが、大人には受け入れがたかった。地元の商店街やPTA関係者が、「東京五輪(64年)に国内外から大勢のお客様が来られるのに、おかしな格好でたむろされていては失礼だ」と声を上げ、 地元警察に補導を頼んだほど。しかし、VANは若者にはまぶしい憧れとなり、市場を引っぱる初めてのブランドとして確立されていった。米国への憧れ若者は憧れの国、アメリカ をVANに感じ取っていた。石津謙介氏(1911~2005年)のデザインで57年に提唱され、翌年頃から大阪や東京の紳士服専門店、洋品店を中心に広がり、60年以降は全国の百貨店、メンズショップへと販路を急速に拡大する。学生服と開襟シャツ(ポロシャツしか知らなかった若者は、この新しいファッションに飛びついた。64年は東京五輪が開かれ、戦後日本の最も輝く1年となったが、ファッション業界にとっても新時代の始まりと言える年だった。日本初のメンズブランド、VANが大ヒットし、若者がファッションに目覚め、その文化が花開いたからだ。石津氏は戦後、中国・天津から引き上げ、、47年に佐々木営業部(現レナウン)デザイン研究室に入社。51年、石津商店を大阪に設立し、54年ヴァンヂャケットに社名を変更する。55年東京営業所開設、翌年渡米。東部地域のアイビーリーグ校を視察、学生たちに取材し交流した。そして57年に発表したのがVANだ。Vanguard(ヴァンガード=先駆者)から名づけた。60年代は日本でもテレビが普及し始め、アメリカのホームドラマや青春物が身近になっていたころ。アメリカの学生のアイビーファッションを知った若者たちにVANの人気が爆発した。導入に二の足を踏んでいた百貨店にもVANのインショップが次々開店する。石津氏は東京五輪の男女選手団公式ユニフォームのデザインにアイビー調を提案、総監修する。VANのスタイルはビジネスマンのスーツにも影響を与え、その後の「KENT」(ケント)誕生につながる。石津氏は常々、「アイビールックは流行ではなく、伝統的なもので、決して色あせないもの。アメリカでは親、子、孫と普遍的に受け継がれている」と語っていた。ブランドやスタイルが未成熟だった日本のアパレル市場に、VANはファッションという概念を確立させた。同社は拡大路線が裏目に出て78年に倒産したが、ファッション市場は若者が引っ張るという構図の第一歩となった。

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